前回のコラムでキャリア全体像をご紹介しました。ここでは、キャリア全体像の各要素に入る前に、「キャリア」とは何かについて考えたいと思います。
「キャリア」の広義の理解
皆さんは、「キャリア」と聞いて、まず何を思い浮かべますか?
「キャリア」の語源は、ラテン語のCarrusという言葉で、「車輪の付いた乗り物」を指す言葉だったようです。その後、イタリア語でCarriera、フランス語ではCarriereという言葉に変わり、これらは「レースコース」を意味していたようです。その後16世紀になって、英国で「フルスピードで馬を走らせて駆ける」という意味で使われるようになりました。これらを考えると、「キャリア」という言葉の背景にあるのは、”目的地に向かってひた走る“ような感じかと思います。
現在日本では、「キャリア」はどのように使われているでしょうか。一般的には、以下のようなイメージで捉えられているのではないかと思います。
・階層社会での上向きの方向性
・専門職としての地位
階層社会での上向きの方向性というのは、実績を上げてどんどん昇進昇格していくキャリアアップのイメージで、そもそもの語源に近いのだろうと思います。また専門職としての地位というのは、「彼はキャリアだからね」のような使い方に代表されるように、高級官僚や弁護士、会計士などの一定の高度な専門職についている人のことを指す言葉として使われています。
但し、キャリアというのをそのような慣用的な定義で止めるのではなく、もう少し思考を広げて考えてみようと思います。
先ほど、「フルスピードで馬を走らせて駆ける」という使われ方をご紹介しましたが、「キャリアは轍(わだち)である」とも言われています。すなわち、馬車などの車輌が通った軌跡のことですが、この轍を考えると、ただ単に上へ上への階段ではなくて、仕事人生における経験・経歴全体のこと、もっと言えば、人生全般にわたる連続としての生き様のようなこともキャリアと呼ぶことができるのではないかと思います。ふと自分の後ろを振り返ると、“成功もあったし失敗もたくさんあったけど、また調子いい時もあれば病気で休んでしまったりしたこともあったけど、今まで頑張って走ってきたこれが自分らしい軌跡かなぁ”のような感じでフラットに自分を振り返る、そんなことも「キャリア」と呼んでいいのだと思います。
そう考えると、キャリアとはアップとかダウンで考えるものというよりは、どれだけ伸長(ストレッチ)するのかどうか、という視点で考えたほうが自分らしい歩みを考えていく上で有益なのではないかと考えます。
例えば、女性社員が産休・育休で1年ほど会社を休業する、ということを考えてみましょう。(現在では、男性の育児休業も取得を促進するムードが高くなってきましたね。) 確かに仕事の第一線からは離れることにはなるのですが、新しい命の誕生や養育という場面に立ち合い、逆に人間としての幅が拡大しているとも思います。
人間は、全てが合理性や効率性の観点だけから動くわけではありません。時には感情にも流される場合もあり、先ほどの例でいえば、母親は、弱いものとの共存を考え、自分の労や時間を度返しして、新しい命のために自分を捧げることを考えるような経験を積んでいくのです。仕事から離れるといっても、こういう時間を「キャリアダウン」と呼べるのでしょうか。
キャリアの定義
ここでキャリアの定義を再度考えてみたいと思いますが、キャリアには「外的キャリア」と「内的キャリア」という考え方があります。
「外的キャリア」・・・肩書き、地位、報酬など外から見えるもの
「内的キャリア」・・・やりがい、働きがいなど心の中に感じる内面的で自己概念(アイデンティティ)に繋がるもの
先ほどのアップかダウンか、という話でいえば、外的キャリアはアップダウンに適する概念ですけど、内的キャリアは「ストレッチ」の方がしっくりきます。外的キャリアを上り詰める希望を持つことは決して間違っていませんが、外的キャリアのみしか見えなくなってしまうと、すべてが“ゼロ・サム”的な考え方に終始してしまい、自分自身の成長のための大切な問い掛けを忘れてしまったりします。さらに言えば、外的キャリアのみに心を奪われると、すぐ近くにいる他者の感情や表情にも鈍感になってしまいます。チームには様々なタイプの人間が混在しているわけですから、チームとして仕事を行うことが難しくなる、ということにもなりかねません。
確かに企業組織は権力構造になっていますから、上意下達で指示命令が下され、下位者は上位者の指示を受けて仕事をすることが原則になりますが、部下の内的キャリアに鈍感な上司、自分ファーストの上司に対して、部下は本当に胸襟を開いて従っていくでしょうか。人間が他者に従うのは、もちろん規定されている権限は大きな要素にはなりますが、最終的に人間は、人望や徳についていくのです。ですから、極端な外的キャリア偏重型の人間は、本当の意味での人間的な成長を、周囲に促すことができないのではないかと私は考えます。
「キャリア」の定義ですが、過去から現在までの人生全体を振り返った自分の軌跡であることに先ほど触れましたが、その概念に「内的キャリア」の要素や未来に向けた時間軸も加え、私は「キャリア」の定義を以下のように考えます。
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キャリアの定義(武田)
自分自身に与えられたタレント(能力・個性)を、いかに自分と他者の幸せと成長に
活かしていくか、その歩み方自体のこと。
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自分に与えられたタレントは、自分だけの所有物ではなく、自分と他者の双方が活かされるような使い方をして初めて、自分が自分らしく輝くことができる、と私は考えます。自分の与えられた使命や存在意味を考えるとき、たとえ小さいことでも「他者のお役に立つ」ということが自分の幸福感にも繋がってくることを覚えておきたいと思います。すなわち、「働く」とは「傍(ハタ)を楽(ラク)にする」ということかと思います。
真言宗の僧侶で看護師でもある玉置妙憂さんという方がいます。玉置さんは、夫の死を契機に看護師の仕事を離れ出家したのですが、その後再び訪問看護師として復職されます。看護師の容姿ではなく僧侶の容姿で患者と向き合う時、患者は身体的な健康だけではなく、精神的なスピリチュアルな健康も求めていると気づき、その面の啓蒙を現在では進めておられるそうです。
その玉置さんが言われるには、「人間は二利を回すことが大切である」とのことです。二利とは「自利」と「利他」のことで、自分を利することと同時に他者を利することを考えなさい、という意味です。逆に言えば、利他ばかり考えていると自分の中に幸せが少なくなってしまい、残り少ない幸せを分けることができなくなってしまうので、自分自身も満たすことが必要である、ということです。キャリアの定義(武田)に書かせていただいたように、自分と他者の幸せと成長に資するような歩みが大切だと思います。
アダム・グラントが著した本『Give and Take「与える人」こそ成長する時代』の中にも同様のくだりが出てきます。「自分のために他者を利用するTakerではなく、自分のタレントを他者のために使うGiverが最終的には成功する」という趣旨のことを、実際の事例を交えて語っているのですが、Giverにも2種類いて、自分をすり減らして他者に奉仕するタイプと、自分自身もしっかり充電しながらGiverとしての奉仕を行うタイプがいるとのことです。そして前者のタイプはTakerと比較しても成功することが難しい、と言っています。
皆さんも、「キャリア」に関する自分なりの定義を考えてみてください。
■執筆者プロフィール
武田 宏
日清製粉グループオリエンタル酵母工業にて海外貿易業務に従事。その後同社にて人事制度改革プロジェクトに参加し、「人」という経営資源のあるべき姿について学ぶ。2001年株式会社ニッペコに入社。海外企業(独)との資本・業務提携のプロジェクト遂行などを経て、現在は人事・経理・情報システム等の管理部門の責任者として経営補佐役を務める。
支援人事、キャリア開発支援に携わり15年が経過。現職の傍ら、現在放送大学大学院にて臨床心理課程で「心」を学び、組織視点だけでなく個人視点での成長にコミットできるよう研鑽を重ねている。
2020年よりタラントディスカバリーラボ代表、㈱セイルコンサルタントとして、キャリア開発支援活動を開始。