本コラムでは、当社コンサルタントの武田が、「キャリアエッセイ2~自分のミッションを求めて~」と題し、キャリアを考える上でのヒントをご紹介させていただきます。今回は、「理解されるよりも理解する者に」をテーマにお伝えします。
理解されるよりも理解するものに

先日ある中学校で、社会人として働くことについて、現役学生とお話しするありがたい機会をいただきました。
自分が中学生の頃は、社会人と対話をするようなこともなかったですし、働くことなども意識したこともありませんでしたが、現在はキャリア教育も生涯にわたって行われるようになり、中学時代から学校の授業として、このような機会を提供されているようです。
改めて働くことの意味とか楽しさを考えてみると、端的に分かりやすい言葉で表現するのは、結構難しいものだと感じています。
でもあえて表現するなら、「自分自身に与えられた能力や個性を、いかに自分と他者の幸せと成長に活かしてゆくか」ということかと思います。
自分に与えられたものとは何か、それは学生時代でも青年期でも、また老年期になっても探していかなければならないでしょうが
その問いに対して真摯に応えていこうとするときに、見えてくるものがあるのだと私は信じています。
フランシスコの祈りを以下に記します。
ああ、主よ、慰められるよりも慰める者としてください。
理解されるよりも理解する者に、愛されるよりも愛する者に。
それは、わたしたちが、自ら与えることによって受け、許すことによって赦され、
自分のからだをささげて死ぬことによってとこしえの命を得ることができるからです。
「働く(ハタラク)」とは、「傍(ハタ)を楽(ラク)にさせること」でもあると言われます。
人間は、自分の思いや考え方が正義であると考えがちで、それゆえ高い能力やスキルを持っていても、
他者との対立を避けることができず、悲しい結果に陥ってしまうことが多々ありますね。
世界政治を見ていてもそうですし、また身近な例でも少なくありません。
みんな自分が頑張っていることを認めて欲しいから、ついつい求め過ぎてしまう・・・。
自分に与えられた役割とは何なのか。
フランシスコのように祈ることができたら、もう少し働くことの意味を実感できるのかもしれないと思いました。