本コラムでは、当社コンサルタントの武田が、「キャリアエッセイ3~自分のミッションを求めて~」と題し、キャリアを考える上でのヒントをご紹介させていただきます。今回は、「自利をもって利他を為す」をテーマにお伝えします。
自利をもって利他を為す

看護師で僧侶のお仕事もされている玉置妙憂さんという方がおられますが、その玉置さんのお話しを聞く機会がありました。
玉置さんは、長い間病院で看護師として仕事をされていたのですが、ご主人の死をきっかけに、高野山(真言宗)のお寺で修行をされ、出家された後、再び看護師としての仕事もされておられるそうです。
出家の姿で看護の仕事をしていると、身体的なキュア(治療)だけではなく、患者さんの方から精神的なケアへの期待も受けることがあるとのこと。
やはり日本は、多神教とはいえ、宗教的なもの、スピリチュアルアルなものに畏敬を持つ文化があることを感じさせられる、とのお話しもいただきました。
自利・利他というのは仏教用語で、読んで字のごとく、自利は自分自身のケアであり自分を活かすこと。
利他はその逆で、他者へのケアであり他者を活かすために行うことを指します。
道徳でも、「自分のことばかり考えるのではなく、他人のことも考えて行動しなさい」と教えられますし、キリスト教も「受けるより与える方が幸いである」と教えてくれています。
その点で、自分の利益を優先するような「自利をもって利他を為す」とは、一体どういうことなのでしょうか。
玉置さんは、「自利のコップにどれだけ水が入っていますか?」と問われています。
もし自分のコップに少ししか水が入っていなくて、その水を他者の渇きのために使ってしまったら、自分はどうなるでしょうか。
水を得た他者が自分に対して心から感謝をしてくれればまだしも、人間は必ずしも正しく生きている人ばかりではありませんから、なけなしの水(自分の僅かな財産とか時間、労力と考えても良いでしょう)を自分勝手な人に与えてしまったという悔しさや虚しさ、後悔で、自分自身を自制することができなくなってしまいます。
でも自利のコップにたくさん水が入っていれば、多少の水が無くなっても、心穏やかな気持ちでその事実を受け入れることができますね。
これはすなわち、二利を回すことが必要ということです。
他者のためと考え行動することで、逆に自分自身が崩れてしまっては、周囲を幸せにすることができないということです。
愛情を受けた経験が無い人間が、他者に愛情を配ることができません。
自分自身で自分のコップに大切な心を蓄えることを、私たちは疎かにしたりしていないでしょうか。
私自身、玉置さんのお話しを聴いてとても反省しています。
自分に厳しいことが、必ずしも周囲の幸福のために役立っているわけではないことも、どこかで受け止めて消化しなければならないのかと、そのように思っています。
「自利を満たす30個の多様な方法を持ってください」と玉置さんは講演の最後に問うて下さいました。
謙虚に数えてみたいと思います。