本コラムでは、当社コンサルタントの武田が、「キャリアエッセイ2~自分のミッションを求めて~」と題し、キャリアを考える上でのヒントをご紹介させていただきます。今回は、「今日の仕事と明日の仕事」をテーマにお伝えします。
今日の仕事と明日の仕事

「コモディティ化」という言葉に代表されるように、ビジネスの世界は昔と比べて変化が激しく、極端に言えば昨日まで勝利の方程式だった製品やサービスが、明日からは衰退の象徴みたいになるようなことが起きています。
ゆえに、自社における各ラインの業務オペレーションも、昨日までの「定型」作業が常に正しいという前提で凝り固まってしまっては、上記のような世の中の流れについていくことも難しいと思います。
私たちは日々の業務にどうしても追われがちになりますが、追われているから与えられた業務だけを行うというのでは、現状を変えることはできません。
とくにマネージャー層が「日々の業務だけをやればよい」という思考でいたとしたら、その組織及びその部下たちは悲劇なのかもしれません。
仕事を緊急度と重要度のマトリクスで考えたとき、緊急かつ重要な仕事は誰でも優先順位を高く考え行動しますが、重要だけれども緊急でない仕事というのは、どうしても後回しにされがちです。
でも、その仕事を誰かがやらなければ、気づいたときには組織が「ゆでガエル」になっていた、ということもありえます。
先日、ある方と話していて「研修不要論」の話が出ました。すなわち、「日々の業務を精一杯行うことが自分たちの仕事である。研修など役に立たない。」という意見です。
でも私はこの意見に対しては、理解できるけれども賛同することはできません。なぜなら、日々の決められた仕事があるのは、明日も明後日も、企業経営上その役割分担で企業が存続する前提があるからであって、その前提を作っている人間がいるからこそ、決められた仕事が正しいオペレーションになるのです。全員が与えられた仕事だけを行っていたら、企業経営はいったいどうなるのでしょう。
では、企業の存続、成長を担っていくにはどうしたら良いか。
それには、私たちは社会情勢、自社環境や自社の実業を知るとともに、新しい価値を生み出すためのアンテナを張り巡らすことから始まるのだと思います。
研修受講もその一つの機会でしょう。でも研修と一口で言っても、会社が機会提供する研修もあれば、自分の時間やお金を費やして学ぶ自己研鑽もありますね。
そもそも会社がコストを担う研修を提供するのは日本ぐらいのものだと聞きました。
他先進国では、プライベートな時間とコストで自ら学び、それで得た知識やスキルをもとに新しい役割を自ら要求するというスタンスが常識だとか。だから他国には「社会人大学院」という言葉も存在しないのです。
社会人になって学び直すことは通常のことなので、社会人大学院生など普通に存在する世界だからです。ですから、会社がプログラムを事前に確認し、各受講生に見合うプログラム選別を行い、コストまでかけて機会提供を行うような研修すらネガティブに捉えるようでは、ビジネスパーソンとしてそもそも失格なのだと私は思います。
現代において、組織が永遠に続く保証などありません。常に自ら学ぶ姿勢を持って任に当たりたいものです。