本コラムでは、当社コンサルタントの武田が、「キャリアエッセイ2~自分のミッションを求めて~」と題し、キャリアを考える上でのヒントをご紹介させていただきます。今回は、「AIカウンセリングを受ける時代がくるのか」をテーマにお伝えします。
AIカウンセリングを受ける時代がくるのか
ビジネスの現場では、デジタル化の波が急速に進んでいます。
その人固有の価値である経験を通した俗人的な暗黙知は悪者扱いされ、逆に個人の知恵は形式知化して組織の知恵にすることが求められ、成長するために必要な試行錯誤のプロセスは無駄なことと排除され、何についてもコストに対してどれだけのリターンとなるのか、その効率性が極度に求められるようになってきました。
極端に言えば、教育というものは、どんな人間に対してもマニュアルさえあれば可能である、というような感じさえします。
機械化・デジタル化をすることによる投資効果算定や、コストに対するアウトプットに対して敏感になることが特に求められて、その前提での企業間競争を余儀なくされています。私もビジネスパーソンの一人であるが故、普段はその視点からの思考を一生懸命しています。
マイケル・オズボーン教授が、「2011年に米国の小学校に入学した子供たちの65%は、大学卒業時に現在存在していない職業に就くだろう」と予測していますが、それだけ情報革命のスピードは速く進んでいるようです。
ところで、人間の適応性の観点からみれば、そもそも「更新世」と呼ばれる少なくとも数万年前頃の集団生活で学習したものが現在の我々のDNAの基盤のようです。中世に比して我々の生活する近現代は相当進化しているように感じますが、人間のDNAレベルの進化過程は時間がかかります。
すなわち、産業革命をはじめとする近代・現代は、一万年前と比べて生物体としてのDNAは全く進化していないので、現在社会問題となっている「社会生活の不適応」や「虐待」、また自らを守るために自虐・他害に進んでしまう「パーソナリティ障害者」が極度に増加するのも、進化心理学の見地からはうなずけるものと、私は感じています。極言となってしまいますが、ここ10年ほどのデジタル化圧力こそ、ある種の「情緒の未成熟者」を作り上げてしまっているのでは、とも思ったりしています。
このようないびつな環境の中で、本来の人間的な部分を少しでも取り戻して、心の故郷に帰るきっかけを作るようなカウンセリングに、無感情のデジタルナレッジが対応するかと思うと、私には滑稽にしか映りません。
でも、デジタル化はもう止められないような動きになっています。通勤時の車内を見ると、スマホを手に持っている人がどれだけいるか・・・また、B to Cビジネスにおける末端のサービスを受けるにも、スマホを所有していることが前提ですよね。
ビジネスはビジネスとして、社会インフラ対応は必要です。
でも大切なものを見失わず、デジタル化の波に対応できるようにしていきたいです。