本コラムでは、当社コンサルタントの武田が、「キャリアエッセイ2~自分のミッションを求めて~」と題し、キャリアを考える上でのヒントをご紹介させていただきます。今回は、「『変わっていくもの』と『変わらないもの』」をテーマにお伝えします。
「変わっていくもの」と「変わらないもの」
「変わっていくもの」として思い浮かぶのは、平家物語の冒頭にある「祇園精舎の鐘の声。諸行無常の響きあり。」という言葉です。この世のことの一切は続かない、という悟りですね。
私たちが固執するモノ、地位、名声、そして自身の命も含め、すべては循環の中にあるものと解されます。
社会の中で、たとえ現在重職に就いていたとしても、それは経済・社会の世界でたまたま少し見立てのよい衣を着ているだけのこと。適齢が来ればその衣も脱がねばならず、次の人がまたその衣を着ることになり、衣を脱いだ人はその瞬間から「ただの人」となります。 会社での役職などは、「変わっていくもの」の代名詞なのかもしれません。
では、「変わらないもの」とはいったい何なのでしょうか。
宗教でいえば、唯一神を唱える西洋の宗教は、「死んでも生きる」変わらない魂を説くものが多いように感じますが、日本人として一般的に考える「変わらないもの」は、その人自身の生き方なのだろうと思います。
私自身は、恥ずかしいことに自分軸がぶれて、「変わってしまう世界」に迷い込み、浮足立つことも多いです。すなわちアウェイ状態にいるような感じでしょうか。過去と同じ時空間を過ごしていても、なぜか焦りや消耗が大きく、自分の足で歩いていないような感じです。
でもそのアウェイの状態は永遠に続くものではありません。適応不調の中であっても、自分自身の「変わってはいけない限度」を手探りで感じ、開き直ってギアチェンジするチャンスもいずれはやってきます。
どんなに困難な状況でも、やるだけはやってみるが、最終的に自分を守るのは自分しかいない。100人いて100人が後ろ指差して自分を批判したとしても、自分がやむを得ないと判断して転身するなら、それをOKとしてゼロからやり直そう・・・
評価なんて関係ないし、ダメだしでも構わない、それが自分自身であるのだから。
そう思って臨めば、少しずつではありますが前よりは目の前が見えてくるのだとも思います。
天より与えられたタラント(個性、才能)を活かさず体裁のよい衣で自分の目を覆うような生き方は、自分には向いていないと感じています。不器用な生き方だと思いますが、でもそれが自分らしい生き方だと思っています。
平家は、京都で栄華を極めた後、壇ノ浦で滅びるまでわずか20年だったとのこと。
私たちは、歴史にも学ぶと同時に、人間の心についても謙虚に学ぶことが大切であると改めて感じています。