本コラムでは、当社コンサルタントの武田が、「キャリアエッセイ~自分のミッションを求めて~」と題し、キャリアを考える上でのヒントをご紹介させていただきます。今回は、「認知的不協和を調整しない理論」をテーマにお伝えします。
認知的不協和を調整しない理論
何やら堅苦しいテーマであるとお感じの方も多いかもしれません。
米国の心理学者であるレオン・フェスティンガーが提唱した「認知的不協和理論」をベースに、私が勝手にいじったものです。
まず、認知的不協和理論とは何か。
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認知的不協和の提唱者フェスティンガーは以下の実験を考案した。フェスティンガーは、単調な作業を行わせた学生に対して報酬を支払い、次に同じ作業をする学生にその作業の楽しさを伝えさせる実験を行った。
この実験では、実際には「つまらない作業」という認知と矛盾する「楽しさを伝える」という認知から不協和が発生するが、報酬の多寡で楽しさを伝える度合いが異なる事を確かめた。
報酬が少ない学生は、報酬が多い学生よりも楽しさを伝える度合いが強く、割に合わない報酬に対して「本当は面白かったのかもしれない」と、認知に修正を加えて不協和を解消しようとする心理が強く働いているとした。
(参照:「認知的不協和」,フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』, 2021-11-23)
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つまり、報酬が高かった学生は、自分が行った作業がつまらなかったが、そこそこの報酬をもらえたからしょうがない、と自己納得ができる。でも報酬が低い学生は、自分の行った作業がつまらないことが分かってはいても、低い報酬ではそれをつまらなかったと感じる自分との整合が取れず、あの作業は面白かったのだと、認知を変えようとすることを認知的不協和理論といいます。イソップ童話に出てくる「酸っぱい葡萄」の話も同じですね。
この理論を、私なりに考えてみました。
確かに、社会生活をしていると、辛いことや自分の意にそぐわないことにも結構出くわしますね。それらに対してすべてに反対し、声を上げるわけにもいかず、不協和でも妥協してメンタル的に溜まらないように流したり、あるいは「いや、この試練には意味がある」と意味づけしたりしながら私たちは過ごしています。
でも、先ほどの報酬の低い学生の例のように、不協和を何とか協和させようとする思考が常となってしまうと、そもそも個性を持った生身の人間としての素直なバネの部分が歪んでしまい、無意識の世界に閉じ込めてきた矛盾がいつかは爆発してしまうのではないか、と考えたりします。
自分の主義主張だけが正義ではないですから、ある程度の認知の拡大や視野の転換を行うのは大切なことですが、不協和はあえて調整せず、「嫌なものは嫌」と吐き出すことも必要かと思います。
私たちは普段の社会生活の中で、「良いか悪いか」を基準に判断し行動することが多いかもしれませんが、人間関係上の配慮やマナーを遵守する前提で、もう少し「好きか嫌いか」で自分らしさを出せるようになりたいとも思います。
■執筆者プロフィール
武田 宏
日清製粉グループオリエンタル酵母工業にて海外貿易業務に従事。その後同社にて人事制度改革プロジェクトに参加し、「人」という経営資源のあるべき姿について学ぶ。2001年株式会社ニッペコに入社。海外企業(独)との資本・業務提携のプロジェクト遂行、人事・経理・情報システム等の管理部門責任者を経て、現在は人材育成・社員相談業務を主とするキャリア支援室室長を務める。合わせて社長付として経営補佐の任も担う。
支援人事、キャリア開発支援に携わり15年が経過。現職の傍ら、現在放送大学大学院にて臨床心理課程で「心」を学び、組織視点だけでなく個人視点での成長にコミットできるよう研鑽を重ねている。2020年よりタラントディスカバリーラボ代表、㈱セイルコンサルタントとして、キャリア開発支援活動を開始。