本コラムでは、当社コンサルタントの武田が、「キャリアエッセイ~自分のミッションを求めて~」と題し、キャリアを考える上でのヒントをご紹介させていただきます。今回は、「周囲の眼と自分のキャリア」をテーマにお伝えします。
周囲の眼と自分のキャリア
日本では、自分自身の存在が独立して存在しているとは考えず、周囲との関係の中でこそ自分の存在が活かされている、と考える文化的特徴があるといわれています。スポーツのヒーローインタビューでも、自分自身の力で勝ち得た結果であったとしても、支えてくれた方々への感謝を添えることが美徳であるのは、典型的な例だと思います。
組織人として生きるサラリーマンも同様、「俺が私が・・・」のパターンで正論を吐き続ける人間が日本では疎まれるのも、文化的影響かと思ったりします。
でも、周囲の眼を意識して、自分のキャリアを相対的にしか見られないとしたら、それも極めて不幸であると思います。
自分が他者を評価するとき、客観的に見られる人は非常に少ないと思われます。自分自身を評価するときも「然り」ですね。米国でのリサーチですが、大学教授に「あなたは教授として標準的なレベルであるかどうか」とアンケートを取ったところ、90%以上の教授が自分は標準より上位であると答えたというデータがあります。「自分自身は一生懸命やっている、でも他者は評価してくれない・・・」のような思いになるのが人間の性なのでしょう。
でも、「その感情を含めた自己判断が、得てして正確ではないのでは?」という内省をできるかどうか、それがその人間の厚みを表すのだろうと私は思います。
かくいう私も若かりし頃は、上役にえらく反抗していましたし、自分の実力を相場以上と誤解していました。薄っぺらい人間だったと反省しています。
自分が管理者になり、そして人間の心について少しではありますが勉強を継続してくると、今は「盲目な自己愛ほど怖いものは無い」と感じています。そして、「自分の成長を阻害するのは他者のせいである…」そんな風に自分に甘く、安易に他者に責任転嫁するような姿に出くわすと、非常に寂しく感じたりしています。
コロナ感染症対策もあり、在宅勤務が通常の姿になりました。
でもこのような一人の状態、すなわち周囲の眼が無い状態でも、自分自身を律し、自分自身のすべきことを主体的にできるかどうか、それがその人のキャリアの成長に繋がるのだと思います。
「上司や周囲の眼がある無しで変わってしまう人」と「自律的なキャリア形成ができる人」。
この両者の差は、やがては自分自身の立ち位置に、また自分の顔にも表れてくるものと思います。
美顔でなくてもいい、でも正しく苦労をして生きてきた人間の顔である・・・周囲の眼を唯一気にするのであれば、私はそのように認められる生き方をしたいと改めて感じました。
自分の胸に手を当てて、自分は本当に正しく生きているのか、という「内省」を忘れずに歩みたいです。
■執筆者プロフィール
武田 宏
日清製粉グループオリエンタル酵母工業にて海外貿易業務に従事。その後同社にて人事制度改革プロジェクトに参加し、「人」という経営資源のあるべき姿について学ぶ。2001年株式会社ニッペコに入社。海外企業(独)との資本・業務提携のプロジェクト遂行、人事・経理・情報システム等の管理部門責任者を経て、現在は人材育成・社員相談業務を主とするキャリア支援室室長を務める。合わせて社長付として経営補佐の任も担う。
支援人事、キャリア開発支援に携わり15年が経過。現職の傍ら、現在放送大学大学院にて臨床心理課程で「心」を学び、組織視点だけでなく個人視点での成長にコミットできるよう研鑽を重ねている。2020年よりタラントディスカバリーラボ代表、㈱セイルコンサルタントとして、キャリア開発支援活動を開始。